たのしくブログ習慣の人体実験中...

おかえり左手

当たりまえの枠を外してみる

左手で描いてみた。

そういえば、

当たり前に右手で描くようになってから数十年。

もともとは、

左利きで、なんでも左手でやっていた。

けれど、

小学校に入るときに、

左手はダメだ

と、

矯正されて右手で描くようになっていた。

左で描いてはダメなんだ…

生まれてから自然と左手をつかっていた

小さなボクには衝撃だったことだろう。

小さな劣等感もあったかもしれない。

左手で描いてたものを、

右手で描く練習がはじまった。

うまく描けない右手…

でも、右手で描かないとしかられるし…

右手で描けるようになったときの記憶はおぼろげだけど、

小さかったあの頃の小さな葛藤があったのは覚えている。

 

最近、はじめた己書。

己書は、

うまいへたではなく、

自分らしく描けばいい。

むしろ、自分らしく描くことに意味がある。

字は左から右に書く、書き順は小学校のときに覚えたとおりに書く。

今までそこから逸脱しようとすら思わなかったけど、己書はあえて右から左に描いたり、書き順を度外視して描いたり、四角を丸で描いたりする。

こうしなければならない、という呪縛からの解放とも言える。

 

右手で描く

そこを疑うこともしなかったけど、

ふと思えばもともとは左手をつかうのが自然な自分。

えんぴつを持つこと以外は、箸を持つのも左手、ハサミを使うのも左手、ほうきではくのも左手…

 

今日は、

左手であえて描いてみた。

なにかからまた一つ解放されたように感じた。

編集後記

小さなころから、完璧主義、言われたことはしっかりやり、ルールを守る子どもでした。手のかからない「いい子」なのかもしれませんね…でも、どこかに無理があるし、本当の自分ではないとも思えます。分厚い分厚い殻に覆われているわけですが、少しずつ外すトレーニングになればと思い、今日の記事へとつながりました。