たのしくブログ習慣の人体実験中...

「なんかいい」から導く天職の要件

(Photo by Chris Child on Unsplash)

「なんかいいんだよなぁ」

「なんかいやだなぁ」

日常のちょっとしたことだけど、こんなふうに思うことってないでしょうか?

この「なんか」というのは、言語化が難しいからついつい使ってしまいますし、些細なことのようでそのままにしておくことが多いです。

けれど、時にそれは天職の要素になったり、何かを暗示してくれているという面もあるので、最近は大事にしたいなって思うんです。

アヒルを見て鳥肌が立った

以前、マザー牧場という千葉の大きな牧場に行って、アヒルの大行進を見たんです。そのときに、よくわからないけれど、鳥肌が立ったんです。

アヒルフェチ…じゃないですよ(笑)

他の動物を見ても別に鳥肌が立つというのはなかったのですが、なぜかアヒルのかわいく歩く姿に鳥肌が立っていたんです。

それがまた、なんか心地いいなぁという気分だったんですよね。

それから5年ぐらいが経ち、習慣化の学校で自分のことを知っていった時につながったんです。

自分自身のわくわくする要素には、

自然、笑顔、教える

という要素があるのですが、アヒルの行進にはその三拍子が揃っていたんです。

マザー牧場は大きな牧場なので大自然なわけです。そして、アヒルの大行進にはアヒルを誘導する係のお姉さんがいるのです。そのお姉さんがアヒルのことを面白おかしく説明してくれるのですが、その話を聞きながら、かわいいアヒルを見ている人には笑顔があるんですよ。

だから、その3つのわくわくが重なって鳥肌が立ったわけなんです。

頭よりも身体が教えてくれることがある

このように、当時頭では理解できなかったことが、後日解明されるということもあるんですよね。

また、会社の会議室での雰囲気っていろんなものがあるのですが、それも同じように会議室に入った瞬間になんだか身体で感じます。同じ会議室ですよ。けれど、集まる人たちがその雰囲気をつくっているのです。

なんか楽しいなぁという雰囲気もあれば、一言も話せない雰囲気もあります。ときには逃げ出したくなる雰囲気の時も。

それは、頭でというよりも、なんか嫌って身体が拒絶反応しているようです。

逆に、雰囲気がよければずっといたいなって思ったり。

なんかを言語化してみる価値はある

「なんか」って使うときは、言語化が難しかったりします。

けれど、それをあえてがんばって言語化してみることも価値があると思うんです。

「なんか」を要素A、要素Bというように言語化すると、次にその要素A、要素Bというものに接してみれば、その感情を味わうことができるのです。

アヒルの行進であれば、「なんかいい」を自然・笑顔・教えるという要素になるのですが、自然・笑顔・教えるという要素を満たしたもので別の形で実現できるならばそれはきっと「なんかいい」を生み出すことになるんです。たとえば、最近ふと夢に出てくるのが、里山で誰かに教えていて笑顔に包まれているというものです。

「なんかいい」を洗練させていくと、天職の要件にもなっていきます。


あなたは最近、なんかいいって思ったことはありますか?それを構成する要素って何が思い浮かびますか?そして、その要素を他に転化できるとしたらどんなものが見つかりそうですか?

ぜひ、楽しみながら考えてみてくださいね。

それでは、今日も楽しみましょう!