(Photo by Shannon McInnes on Unsplash)
いつの間にか完璧主義が和らいだなぁ
私は完璧主義の思考が強くって、それによって自分を苦しめるパターンにはまることが多かったです。
なんでも理想を高くもって、それに届かない自分を責め、ときには自分の理想と相反することをする人にイラッとしちゃうこともありました。
そう過去形なのですが、いつの間にかそんな完璧主義が和らいできました。
もちろん今でも自分を責めてしまったり、相手にイラッとしちゃうこともあるけれど、その程度がぐーんと下がっているのです。
そのようになったきっかけの1つは、「習慣を毎日やる」ことにあったのです。
毎日続けていること
今ではいろんな習慣が重なり、
- 習慣化の智慧のアウトプット:878日連続
- グラフィックレコーディング:496日連続
- ブログ:241日連続
というような複数の毎日必ずやる習慣を実施しています。
この他にも最近はじまった朝の散歩習慣や、ポジコメ習慣、ほかにもいろんな習慣があります。
一度に習慣化ができるようになるわけではないので、もちろん1つずつ地道に積み上げています。
コミットするということ
「習慣化の智慧のアウトプット」は、気づけば二年半にも渡り、毎日継続してできています。
この二年半の間に、長期の旅行にも行っていますし、仕事が忙しいときもありますし、入院したときもあります。
そんな習慣化の壁となるようなできごとがあっても、「毎日必ずやる」というシンプルなルールを実行してきました。
完璧にはできないということ
さらっと毎日必ずやると書きましたが、この毎日は案外大変なものです。
それも、インプットではなく、アウトプットとなるとハードルが一段とあがります。
完璧主義の自分の中には、「こんな感じがいいなぁ」っていう理想像が常にあります。
理想の状態でなしとげられるならばとても心地良いですが、なしとげられないときはそわそわします。
けれど、毎日その理想の状態にできるかというとできないんです。だって入院のときは、時間はないし、心身ともに疲弊しているし。吐き気との闘いの中で習慣を成し遂げるのですから。
そこで、本意ではないけれど、不完全な状態で、その日の習慣をこなします。
不完全だとそわそわします。
けれど、そのそわそわも、不完全な状態を繰り返していくと、和らいでいったのです。
完璧にできない自分を許せるようになったのです。
他人を許せるようになった
このように、自分は完璧にはできないということを自分に対して許せると、他人も許せるようになりました。
ついつい他人と相対するときは、自分というものさしを基準にして考えてしまい、ときにそのものさしにそぐわない人がいるとイラッとしてしまうものなんですが、
そういった人もいるよね、とか、今はそこまでできなくっても別にいいよね。
って思えるようになったんです。
おっと。
時間がきましたので、今日はここまで。
そう、こんな感じで不完全に終えるところも、完璧主義から脱する訓練です。
文章読み直さず、えいやーで投稿(笑)
では、今日も楽しみましょう!