(Photo by Kelly Sikkema on Unsplash)
最近、おもしろいぐらいに時間がないです。
ほんとはやりたいけれどできないこと、いろんな人とのオンライン場のコミュニケーションやいろんなこと。
なのでTASKは増える一方で未消化感たっぷり。
だからこそ、今まさに時間管理を再構築しているのですが、きっと時間管理をしてもTASKを全てやるということはありえないと思うんです。
で、思ったんです。
一生かかってもやりたいことは全てはできないということを。
増えつづけるやりたいこと
最近は、会社と家庭の往復、ではなく、複業活動などでいろんな活動をしています。
オンライン上にも複数のコミュニティに属していてきっと全てにまともにつきあっていると、それだけで毎日が終わってしまいます。
さらに、自分のなりたい姿になるために、今後も次々といろんなことに挑戦していきます。
なりたい自分の要素を考えると、やりたいことが山ほど出てくるんです。
何かをやることは何かを捨てること
そのように山ほど出てくるやりたいことを全部やれるかというとはっきり言って不可能です。
もちろん、時間管理をやったり、人に委任したり、いろんな手法はあるだろうけれど、それをやったところで全ては処理はできないのです。
そこで思ったのが、
「何かをやることは何かを捨てること」
なんです。
一生かかってもできないぐらいのやりたいこと。
わたしたち人間には死という境界線がありますが、その境界線の内側までならやりたいことはできます。当然のことながら死という境界線を超えるともう何もできないわけです。
つまり、一生かかってもできないということは、死という境界線を超えたタスクがたくさんあるというわけです。
今まさにブログを書いているわけですが、この時間を使うことで、一生という時間枠の一部がなくなっているわけです。ブログを書かなかったらできたことができなくなっているわけなんです。
大切なその瞬間で何をやるのかということ
そう考えると、一瞬一瞬がとてもかけがえのないものに思えてきませんか?
今通勤時間にPC開いてブログを書いていますが、周りの大半の人は寝ているかスマホをチョロチョロと見ている感じ。
それがもちろん悪いわけではありません。
ただ、その時間にも自分の一生のかけがえいのない時間というものが削られていっているわけなんです。
死という境界線を考えたならば、その境界線にいきつくまでに、本当に大切なことを噛み締めながら時を過ごしていきたいものです。
あなたにはやりたいことはありますか?
今この瞬間で何をやりますか?
それでは、今日も楽しみましょう!
編集後記
一昨日に、会社の中でワークショップがありました。業務以外も含めて、良いことと、良くないことと、それを踏まえて何をするというものを考えたのです。一番気になったのが、私のチームのみなさんの健康状態がよろしくないということです。
働きすぎだったり、ON/OFFがうまくとれず休日も仕事をやっていたりと。そこで、私から週に一度定時退社をやることを提案し、それを実行することになりました。
働けるのは大切な身体があってのこと。今日の記事とも重なりますが、睡眠時間や、ストレスを緩和する週間というものが長い人生を考えた際にとても大切なものと思うのです。